機械遺産です

 

機械遺産です

 

 

機械遺産ホームページです

https://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/list.html#2017


機械遺産認定証
 

 


「機械遺産」とは日本機械学会が2007年に創立110年を記念してその記念事業のい一環として歴史に残る機械技術関連の遺産を大切に保存し、文化遺産として次世代に伝えることを目的に、日本国内の機械技術面で歴史的意義のある「機械遺産」を認定するようです

2007年には「麦わら帽子製造用環縫ミシン」や「高周波発電機」「旅客機YS−11」など25件が認定され2008年は仙台市の「三居沢発電所関係機器・資料郡」や岩手県花巻市の「機械式通信機器群」など6件が認定され31件が認定されているようで今後も順次継続されるようです。

またこれとは別に同じような登録制度が今話題の独立行政法人の「国立科学博物館」が2008年より{次代に継承すべき日本の科学技術遺産を登録する「重要科学技術資料(通称 未来技術遺産)」}と言う登録制度を新設して第一回目は「国産初のロケットH−2 7号機」や「依佐美送信所送信装置一式」など23件が登録されたようです,

依佐美送信所記念館などでは「機械遺産認定証」と「未来技術遺産の登録証」が並べて展示されている.今後もこのようなケースが増えてくるかもしれないですね。

このほかにも経済産業省が「近代化産業遺産」が2007年よりスタートしたようでまさに「世界遺産」ブームから始まり「産業、技術遺産」ブームのオンパレードだ、2007年,2008年という年は団塊世代の定年退職の始まる年と一致しているのは多分偶然だろう・・・・

 

機械遺産 第5号

 

ロータリーエンジン






「部下がついてくるかどうかは、リーダーが苦しんだ量に比例する」
(プロジェクトX リーダーたちの言葉より)

この言葉はロータリーエンジン研究部開発部長の山本健一の言葉です、
レシプロエンジンはピストンを上下して動力を得るが、ロータリーエンジンは回転運動をさせて動力を得る小型だが驚異的なパワーを生み出すことができるエンジンのようです。
しかし世界初のロータリーエンジン開発ということでエンジン内のオイル漏れや低回転になると振動が発生するなど多くの問題点をかかえ開発は大変だったようです。

ロータリーエンジンも2007年に「機械遺産」に認定されNHKのプロジェクトXでも紹介された。


 

機械遺産 第6号

 

ホンダCVCCエンジン



 

「一人の天才がいたって駄目だ。
    凡人でも力を合わせれば
                 必ず成功できる」
(プロジェクトX りーダーたちの言葉より)

ホンダCVCCエンジン開発リーダー 久米是志の言葉です、
ホンダCVCCエンジンは、米国マスキー法排出ガス規制(5年以内に排気ガスを5分の1にする)を、世界で初めてクリアしたエンジンで2007年に「機械遺産」に認定された、

またNHKテレビプロジェクトXでも制作秘話が紹介された。

 


機械遺産 第10号
 

高周波発電機



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高周波発電機は、基本周波数と大出力を発生させる長波送信設備の心臓部で、主直流電動機により駆動される、第2次世界大戦の真珠湾攻撃命令「ニイタカヤマ ノボレ」はこの無線施設から発信されたようだ。

今日は土曜日ということでボランティアの人が案内してくれた、機械遺産についての裏話も聞かせてもらい面白かった、




この認定証を発行するのは社団法人 日本機械学会というところらしい多分どこかの省のお役人さんが何人か在籍しているのかな?

これだけのものを維持管理するには莫大な「人、物、金」が必要なようです。


 

 

      

 

 

機械遺産 第12号
 

230型 233型タンク式蒸気機関車

 




国産で最初にSLを製造したのは官鉄の神戸工場で860型が製造されたが、民間の車両メーカーが最初に量産型のSLを製造したのは汽車製造会社で「230型蒸気機関車」を1901年(明治36年)から8年間で41両制作された、

創業当時は鉄資源がわずかで鉄道に必要なレールや車両に必要な資材は,ほとんどを輸入に頼らなければならなかったようです。

「230型蒸気機関車」は主に東北、関西地域で使用され一部は入れ替えようとして戦後まで使用されたようで、2007年に最初の国産民間メーカーが制作したSLとして「230型タンク式蒸気機関車」が「機械遺産」に認定された、現在は大阪市のJR大阪環状線弁天町駅高架下の交通科学博物館で保存されているようです。

SLの生産は1901年から1951年までの50年間で「D51」や「C62」など2600両余りが製造された、蒸気機関車が製造された期間はわずか50年の命だったが存在感のある機械で歴代の蒸気機関車全てが「機械遺産」として後世まで伝えたい遺産だと思います。

私が蒸気機関車が現役で走っている姿を最後に見たのは中学生の頃ではなかったかと記憶している、今から50年近く前の話しだ、蒸気機関車をはじめ、昔はあったが現在はもう無くなってしまったものが沢山ある。

「機械遺産」「未来技術遺産」「近代化産業遺産」などなど後世に技術文化遺産を伝えるため多くの団体が2007年を境に発足したことは良きことかも知れない。

 

 機械遺産 第13号

 YS−11旅客機


 

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戦後初の国産旅客機、1963年8月30日初飛行その後182機製造され世界にも13カ国に輸出された、現在国内では航空自衛隊の美保基地で人員輸送機としてYSー11P3機が運航されているだけだ。

戦後GHQの飛行禁止により航空機の製造は勿論のこと研究や教育さえも禁止されたが7年間のブランクを乗り越え、零戦の設計者堀越二郎や隼の太田稔,飛燕の土井武夫など戦前の戦闘機を設計した設計者により戦後初の国産旅客機の開発が再開された。

「絵心はあるか。飛行機は面白いんだ、のびのびやりなさい」
YS−11開発リーダー土井武夫の言葉です、
NHKのプロジェクトXでもYSー11の制作秘話が紹介された。

 

 

機械遺産 第15号


麦わら帽子製造用環縫ミシン



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ブラザー コミュ二ケ―ション スペース

ブラザー コミュ二ケ―ション スペースは、人々とブラザーをつなぐ交流の場です。
情報通信機器を主力製品として世界市場で挑戦を続ける私たちの事を、もっと深く知っていただきたいと思います。
ガラス越しに緑と光が注がれる建物の中には、ブラザーを見る、ブラザーに触れる、ブラザーと対話する・・・・。
そんな時間がゆっくりと流れ、ご来館いただいた方を おもてなしします。

(ブラザー パンフレットよりコピペ)

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ブラザー コミュ二ケ―ションプラザの中に「機械遺産 第15号」「麦わら帽子製造用環縫ミシン」が展示されています

小さい頃から「麦わら帽子」がどんな機械でどのようにしてできるのか興味があったがそんな折、「機械遺産」という認定制度が日本機械学会という団体の110周年の記念事業として2007年よりスタートした、その中の一つにブラザーの「昭三式環縫ミシン」が入っていたので早速名古屋まで見学に行ってきた。


昭三式環縫ミシン


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麦わら帽子はこのミシンで円形に縫い、縫い終わったものを蒸気式のプレスでプレスして完成する蒸気式のプレス機もブラザーが制作したもののようだです

蒸気式のプレス機です

 

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「ブラザー」という会社名の由来が兄弟で会社を興したというところか来ている様だ、もう一つ感激したことは「長男」と「四男」のコンビというところだ、長男は納得するが「四男」はたいていの場合は「はばにされる」のが世の常なのだが・・・・・

イッツ ジョークです。
ちなみに私は四男坊です。
「麦わら帽子」ができるまでを理解することができ、ありがとうがざいました。
最近のブラザーはミシンだけでなく情報通信機器など最先端の製品も手掛けているようです。

 


機械遺産 第16号
 

無停止杼鑑識豊田自動織機 G型



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トヨタテクノミュージアム「産業技術記念館」のエントランスロビーから繊維機械館の入口を入るとすぐに機械遺産の<無停止杼換式自動織機>が展示されています。

これが

 

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杼(ひ)は、織物を織るときの道具で,緯糸(よこいと)を巻いて収めた平らな舟型の器で、経糸(たていと)の間に緯糸を通すのに使われる,シャトルとも言われるようです。

実演

 

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この実演は初期の手動式の織機でタテ糸が交互に上下に動きその間を杼(ひ)が横糸を通して布を織る,この作業を機械で初めて行ったのが機械遺産に認定された「無停止杼換式自動織機」のようです。

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(産業技術記念館の案内板)

産業技術記念館は1994年6月にトヨタグループ13社が「研究と創造の精神」と「モノづくり」の大切さ、素晴らしさを知ってもらうために造られたようだ、記念館には繊維機械館と自動車館があります。

産業技術記念館の場所は名古屋駅から車で10分位のところで名鉄の栄生駅からは数分の場所にあり駐車場も完備しています。

 

 

機械遺産 第70号

 

鉄道跳開橋「末広橋梁」

 

「末広橋梁」は三重県四日市市にある跳開(ちょうかい)式鉄道架道橋で1931年(昭和6年)に完成した跳開下路式鉄道橋としては現役で唯一の可動橋で普段は跳上状態で貨物列車が通過する時だけ可動桁を下すようです

1998年(平成10年)には近代化遺産構造物として重要文化財の指定を受けたようです

 

近いうちに行ってみようと想います

 

 

機械遺産 第78号

 

スバル360−K111型

 

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旧中島飛行機(現富士重工業(株))が1958(昭和33)年に日本独自の自動車規格”軽自動車”(全長3m以下、全幅13m以下、搭載エンジンの排気量は360cc以下)の最初のヒット作



昭和30年大人が4人乗って、凸凹の道でも時速60kmで走行でき、耐久性があり価格は40万以下の「軽自動車」というコンセプトで開発が始まったスバル360開発プロジェクト。

当時の軽自動車の定義はエンジンは360cc以下で車両寸法は長さが3m以下、幅は1,3m以下で高さは2m以下」と決められていた。

現在ではエンジンの排気量は660cc未満で寸法も長さが3,4mで幅が1,48mと当時に比べると長さで40cm幅で18cmと一回り大きくなっておりだいぶゆったりとした居住性が確保されて小型の普通車と遜色がなくなってきている。




 



スバル360はエンジンの排気量が360ccと小さいためにボデイ、エンジン、サスペンションの徹底的な軽量化を図り車体重量の軽量化が行われた。

昭和33年3月28日に日本橋白木屋デパートの店頭で一般公開された販売価格は42万5000円、当時の大学卒業の公務員の初任給が1万円程度という頃にしてはいかに販売価格が高かったか想像できる。

実際に発売されたのは5月からで第1番目の購入者は松下電器の松下幸之助だったようで初期の購入者の多くは有名人が購入したようだ、その後所得倍増論で高度経済成長を遂げサラリーマンでもマイカーが購入できる時代となった。

この独特のスタイルから今でも愛好者が多く「てんとう虫の会」など親睦団体が全国に存在しているようです

スバル360の素晴らしさは「見た目が小さくてかわいいところ」、「この小さなボデーに大人4人が乗れるとろ」「360ccという非力なエンジンながら現在の交通事情にも対応できる性能がある」などなどスタイルもさることながら性能の良さが40年以上たった今でも人々に愛される由縁だろ〜

現在の車で40年以上愛され続ける車ははたして何台あるだろう、「シンプル イズ ベスト」なんていう言葉がはやった時代もあったが、もう一度現在のさまざまな事を40年前のスバル360が誕生した時代頃に戻って再スタートした方がいいのかもしれない、今の時代あまりにも便利になりすぎ豊かになりすぎ、創意工夫することが少なくなってきているのではなどと考える。

スバル360をみてなぜか1960年代の古き良き時代を思い出した今日この頃です

あまり古き良き時代を懐かしのは脳によろしくないようだ古き良き時代を懐かしむのはこれくらいにしておこう、それにしても「スバル360」の復刻版を発売したらきっと売れる気がします



以前観音開きのトヨタクラウンの復刻版が発売されて凄く人気があった事を思い出した,まさに「温故知新」のこころです

 

 

 

 

合掌

 

 

 

 

 



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